
こんばんは(^^)/
先日、予告編で高橋一生君が意味深な言葉を吐いてましたね~(*_*;
『地獄へは俺が行く!』
って、地獄ってどこよ~気になったので小野政次の史実を調べてみました!
小野政次(高橋一生)
もともと、直虎(おとわ)・直親(亀之丞)・政次(鶴丸)は
幼馴染で、政次の父・政直は井伊家の家老にして、
今川家の目付やを任じられておりました。
戦国の世ですので小国井伊家は大国今川家には歯向かうことはできず、
常に監視下におかれていました。
直虎が尼になったり、直親が殺害されたのも今川によるものです。
そんな今川寄りの政次を演じているので、それはそれは嫌な役で
私も一時、一生君が嫌いになりそうでした(^-^;
政次の最後は?
戦国の世、今川は武田との戦に備え、井伊家を潰しにかかります。
井伊家に『徳政令』を出させる事により、事実上、井伊家は滅ぼされてしまいます。
その後、井伊の領地には小野政次が入ります。
しかし、戦が始まり、井伊家と裏で結んでいた徳川軍が、
洞窟で潜んでいた政次を捕え、はりつけにされ殺されてしまうのです(/ω\)
小野が伊井田谷の城主であった期間はわずか34日(約一カ月)でありました。
子孫や妻は?
ドラマでは、政次は独身として出てきていますが、
史実では子供が二人いたようです。
妻の名前は公表されていないようですね。
その子供達も直政の死の一か月後に処刑されております。
ドラマでは弟の嫁である『なつ』とは、
いい仲ですよね・・あうんの呼吸で心が通じている感じがします。
二人の子供もなつの子供であった可能性がありますよね。
なつには『伊之助』という政次の弟との間の子供がいましたが、
井伊直政(虎松)と共に徳川に出仕し、『万福』という名前をもらってます。
直政は『万千代』の名前をもらってます。
この伊之助『万福』こと小野朝之は、生涯、井伊家に仕えたとされています。
その後、与板藩の家老になり、浜北区尾野にはご子孫もいらっしゃるそうです。
墓はどこに?
真ん中の先端がとがっている分が政次、
両端の小さなものが、二人の子供の墓のようです。
現在、「小野但馬守政次 終焉の地」という看板がでているようです。
その後、井伊家が彦根に引っ越しすることになり、
近藤氏が入られた時、小野屋敷を陣屋とされたのですが、
誤って塚を平らにしてしまっので、二宮神社の中に、
但馬社が建てられたようです。
現在は、拝殿横の天王社に合祀されているようです。
でも、小野家代々の墓は井伊家とともに龍潭寺の中にあるようです。
このことからも、そこまで険悪な仲ではなかったのではないかと思われます。
まとめ
実際の、政次は善人だったのか?悪人だったのか?
希望では、ドラマ通り、誰よりも井伊の事を考えてくれた人
と思いたいのですが・・
ああ・・ドラマが見たいけど、見たくない気持ちでいっぱいです
では、また~
追記
やはり、ドラマの最後はもっとせつなかったですね~
まさか、貼り付け後、直虎の手で葬られるとは・・
涙が止まりませんでした・・政次・・ありがとう(T_T)/~~~
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