ひよっこ・宗男おじさんも参戦したインパール作戦と牟田口氏について

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おはようございます!

終戦記念日の日に、

NHKスペシャル「全記録 インパール作戦」 
8月15日(火)[総合]後7:30〜8:43

放送されるようですね。

平和な世の中に暮らす私達には、戦争の事はわからないけど

知っておかなければならない事実ですよね。

そういえば、毎朝見てる『ひよっこ』でも、

宗男おじさんが自分はインパール作戦の生き残りであることを告白していましたね。

宗男おじさん

マッシュルーカットで、そこはかとなく明るくて、

ビートルズと同じ空気を吸うために、原チャリで東京まで

言ってしまうというぶっとんだおじさん役を

峯田和伸(みねた かずのぶ)さんが演じてらっしゃいますね(*’▽’)

でも、昔は暗かったとか・・

戦争に行って、生死をさまよっている時に出会った英国兵が、

ニカッって笑ったんだ・・

だから、自分は笑って生きていこうと決めたとおっしゃってましたね。

インパール作戦を簡単に

理由

当時のインドはイギリスの植民地でした。

そして、当時の日本は東南アジアのほぼ全域を支配しておりました。

さらに、中国本土戦を進めたい日本が、

インドの独立を名目に、インド義勇軍を作って

インパールで中国に援助する為に援助物資を蓄えていた

イギリス軍を叩こうとした作戦でした。

しかしこれは、食糧もまともに持たずに、ビルマから、

インドのインパールまでジャングルと山岳地帯(アラカン山脈)を踏破して、

戦車や大砲をずらりと並べているイギリス軍の陣地に肉弾突撃で攻め込んで、

物資を分捕ればいいのだ、というような無茶苦茶な作戦だったのです。

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作戦を立てた人

15軍司令官だった牟田口 廉也中将が発案し、

東条英樹首相・陸軍参謀総長が認め決行されたのです。
どう考えても無謀な作戦で牟田口中将の部下たちも反対したが、

牟田口中将は反対する部下を次々にクビを飛ばして、強行されました。

結果

1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続されました。

結局、食料や弾薬などの物資を前線に送ることができなかった日本軍が、

飛行機で物資を送り続けたイギリス軍に完敗して終わりました。
日本軍の死者のほとんどが、マラリアやデング熱、赤痢などによる病死と、食糧不足による餓死でした。
結果は当然散々で86000人の兵士のうち、

イギリス軍に攻められ戦死者38000人、餓死や病死者40000人、

ほぼ9割弱の人が亡くなられました。
途中の道端には多くの腐敗した兵士の死体が転がり、白骨街道と呼ばれました。

牟田口中将の弁明

「部下が無能だったから、全滅した。私は正しかった」とひたすら自己弁護してました。

兵士たちへの謝罪の言葉は死ぬまで無かったようです。

「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」

という言葉を残しています。
死んでいく兵士たちは「無茶口」「敵より怖い馬鹿大将」と言いながら、死んでいったとか。

まとめ

戦争は、恐ろしいです。

二度とこのようなことが起こらないためにも、一年に一回は、

戦争関連の映像を見ておこうと思いました。

牟田口氏については、無謀な作戦をたて、反対者は更迭し、

自分は高みの見物で芸者さん達を呼んで豪遊していたという話もあります・・

もう具合が悪いです。

胸が苦しくなってきたので、今日はこの辺りで失礼します。

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