上地雄輔・野球の実力や経歴がスゴイ!レギュラーなのに辞めた理由

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ドラマ・派遣の品格で、上地雄輔さんが正社員の派遣コーディネーターとして

働いていいらっしゃる姿を見て、

もし、芸能人じゃなかったら・・・とか考えてしまいました・・

上地雄輔

1979年4月18日生まれ

神奈川県横須賀市出身。O型。

身長179.8cm、体重67kg

父は元横須賀市・市会議員 母は元CAで、

小泉幸太郎・進次郎兄弟とも幼馴染とか。

アーティスト名は遊助(ゆうすけ)

2007年クイズ・ヘキサゴンのおバカキャラとして地位を確立されましたね。

野球の実力と経歴

6歳で野球をはじめる。

小学校・中学校で日本選抜メンバーとして世界大会出場。

高校進学の際には38校もの野球推薦のオファーあったとか。

そして1995年に自身より1学年上の丹波慎也さんの球を受けてみたい!と憧れ、

高校は、年3名しかいない野球特待生として横浜高等学校へ進学。

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高校時代

1年生の秋季大会で背番号20で初めてベンチ入り、

1996年春に出場した甲子園のメンバー(16人)には選ばれませんでした。

2年生の夏の甲子園県予選にもやはり背番号20でベンチ入り、

3回戦の対瀬谷高戦に出場。

この頃に右肘の神経断裂。

横浜高は県予選を勝ち抜き甲子園に春夏連続出場しましたが、

やはり甲子園メンバーには選ばれませんでした。

新チームになり背番号2になりますが

ケガの影響から試合にはほとんど出られず

正捕手は一学年下の小山良男でした。

そして、3年でも肩のケガが治まらず、

試合には限られた数しかでられなかったようです。

高校三年間で公式戦に出れたのは6回のみだったようです。

松坂投手のコメント

2018年の毎日放送「戦え!スポーツ内閣」で、

上地雄輔は、どんなキャッチャーだったかとの質問に、

松坂は「たいしたことなかった…」と冗談で笑いを誘ったうえで、

「すごく気遣いのできるキャッチャー」とコメント。

性格的にキャッチャー向きだったと賛辞を寄せた。
上地が「ケガをしなかったらプロにいけていた」と言っていることについては、

「それはなかったと思う」と一刀両断。

「普通にいいキャッチャーだった」とフォローしつつ、

「高校レベルだったということで…?」という

笑いをかみ殺しながら「そうまでは言っていない」と答えた。

まとめ

どんなに実力があっても、ケガという不運には逆らえなかったということでしょうか・・

松坂投手のインタビューはどう受けていいのか悩むところですが、

プロ野球選手同様・狭き門とされる芸能界で生き残り、

さらに歌までだされているので、

それはそれで運をもっているともとらえることができますよね。

今後の活躍に期待していきたいと思います。

では、また。

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